2013年 11月

先日、京都市内の西部の山の上にあるお寺を訪ねました。

紅葉の写真を撮るために行ったのですが、この寺を選んだのは、紅葉もさることながら、丹波壺を見たかったのです。

約20年前、この寺の玄関脇に花を活けて有った壺です。

江戸初期、ひょっとすれば桃山期と思われるもので、赤どべの発色、茶褐色の色合い、ビードロが底ギリギリまで垂れ下がっています。

それはそれは素晴らしい景色でした。お茶を頂きながら、老婦人と暫し歓談したのを覚えています。

ところが今回、寺中を探されたのですが、この壺はありませんでした。

私は、現在のご住職の母上と歓談したらしいのですが、「母は、褒められたものを簡単に人にあげる。先先代が集めた骨董は一つも残ってない。この壺も、その一つだったのでは」とご住職。

「あれだけの壺ですから、今頃は、きっと可愛がっていただいてることでしょう」と、お寺を辞しました。

だけども、見れなかったのは残念無念でした。今頃は、どこで過ごしていることでしょう。

明日29日は、滋賀県の個人の方から骨董品の整理を依頼され、朝から出張しますので開店しません。

まことに、申し訳ございません。

 

 

 

大山崎町のおもてなしウイークが本日24日に終了しました。

たくさんの方がご来店いただきました。近隣市から遠方からも来ていただきました。

そして、おもてなしウイーク期間中の百円、五百円のワンコイン価格や格安に価格設定した骨董品をお買い求めいただき、大事に使っていただける模様を拝見しまして、店主は大変、喜んでいます。

ありがとうございました。心から御礼申し上げます。

また、次の「おもてなしウイーク」をご期待ください。

いよいよ今日から三日間、おもてなしウィークになりました。

どのようなお客様が来られるのか楽しみです。

お客様がお持ちになっているお話をいろいろが聞けたら最高です。

今日、来られたお客様から「香炉の蓋摘まみに獅子像が多いのは何故か」との質問がありました。

実は私も同じことを考えていますが、「昔、中国からの招来物に獅子像が多いから」ということが記載された書物を覚えています。

この説には、なるほどと思いますが、中国が発祥の地なら龍や鳳凰が多いのではとも思ってもいます。

私は、香炉が日常道具だけでなく、仏教道具として清めに使われたことから獅子像になっているのではないかと思っています。

お釈迦様(ゴータマシッタルーダ)が悟りをされて、最初の説教をされた初転法輪のときに獅子が吠えるがごとき力強い説法をされたと謂われています。

そして、古代インドで仏教布教に力を尽くされたアショカ王が佛蹟を顕彰する石柱を立てられたとき、石柱の上部には獅子を乗せられたのもこの初転法輪の故事からとの説があります。特に、ゴータマシッタルーダがお生まれになったルンビニーに石柱を立てられたときには、上部に四方に咆哮する四匹の獅子を配置されていますのは、この初転法輪のときの吼えるがごときの説法を四方に伝えるのを表現したと謂われています。

また、文殊菩薩は、百獣の頂点に立つ獅子をも従わす力を持っていることを示すため獅子に乗っていると謂われています。

これらの由来から、私は獅子像が香炉の蓋にも乗せられているのではないかと思っています。

ブッダを蓋の摘まみにするのは不敬ですが、象徴の獅子なら許されるのではないでしょうか?

ブッダを仏像(姿)で現すのでなく、蓮の花や、菩提樹や、佛足で現しますように。

先週末にパソコンが故障し、製造元の電話サポートでも「システムが復元できませんでした」の表示で再稼働できなかったので、18日に出張修理を依頼しました。

ところが、もう一度、状況を確認しておこうと、今朝、電源を入れました。

すると、「システムは正常に復元できました」の表示と共に立ち上がり、問題なく諸動作が出来ます。

狐につままれたような感じです。

パソコン素人では原因が全く分かりません。

大山崎商工会の「おもてなしウイーク」が近づいてきたこともあり、ホッとするとともに、一体全体、どうなってるのって思っています。

庭の柿の葉っぱが落ち始めました。これからは一気に冬に向かっていくのでしょう。

柿と言えば、奈良県榛原町にあった母方の祖父母の家の柿を何時も想いだします。

一抱えもある柿の木に登ると、いつも祖父が「登ったらアカン!柿の木は折れやすい」と座敷から叱られました。

そうです。小さいころに折れて落ちたのです。幸い、下には池があって事なきを得ました。

一歳年下の従妹が見ていて、恥ずかしかったのを覚えています。

この柿の樹に登って、伊奈佐山を眺めるのが好きでした。

落ちたのは、私だけではありません。

母の伯父の二郎(じろさん)か叔父の三郎(サブちゃん)のどちらかも落ちていたのです。

この二人は、若くして戦死しました。

一人は、独立高射砲第32中隊隊員としてキスカ島で、一人は学徒出陣で歩兵第153連隊第2機関銃中隊小隊長としてビルマで戦死しました。

 

 

6回目を迎える「おもてなしウィーク」が11月22日(金)~24日(日)に開催されます。

これは、町内の様々な業種や陶芸家や趣味人など55軒が集まって、「ワンコインでのおもてなし」を基本に開催するものです。

古籠堂も、「古陶器で食卓を飾りませんか」とワンコインと格安の価格設定で参加します。

過去の「おもてなしウィーク」には、京都市北区、伏見区、高槻市、左京区などから古籠堂に来られました。

骨董を見ながら、話して、お茶を飲んで、自分の好みを見つけるひと時を古籠堂で試してみませんか?

端から端まで3キロに満たないハート型の小さな町 秀吉と光秀の戦った天王山の町を散策し、魅力ある店を発見しませんか?

詳しくは、大山崎町商工会のホームページでご覧ください。

やや旧聞に属しますが、9月中旬に「若狭の秘仏公開」に行きました。

その中で、身震いするほどの観音様を見ました。

山深い里にある小さな庵の「正林庵」に祀ってある奈良時代後期と言われている銅造りの小さな如意輪観音です。

それが奈良中宮寺にある飛鳥時代の半跏思惟像にそっくりなのです。

この中宮寺の観音様は、古代朝鮮系の仏像と言われていますが、ここの半跏像も形や裾模様などから百済系と判断してよいのではと思いました。

古代の若狭の国は、表日本の玄関口と言われるぐらい古代の朝鮮や渤海国などの使節が上陸した国です。

この地に古代朝鮮系の仏像があっても不思議はありません。

正林庵のような山深い所にこのような観音様があるのは、ここが昔、京都東寺の荘園だったのと関係があるのかもしれません。

東寺と言えば、弘法大師にゆかりが深い大寺です。弘法大師と言えば、水銀との因縁があります。

この若狭の国も水銀伝説と産出が豊富な国です。ひょっとすれば、正林庵の地には水銀が産出していたのかもしれません。

その集団が、持っていた如意輪観音半跏像?と空想しながら帰途につきました。

いつか、正林庵周辺の水銀含有量を調べようと思いながら、・・・・・。

 

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江戸後期の横3㎝×高さ4.5㎝の豆香炉です。非常に好く造形がしてあります。腕の良い職人の仕事でしょう。実用としては、これ以上は小さく出来ないでしょう。