2016年 4月

伝四郎氏から三代目の三ツ井為吉(英一)氏の小壺です。高さ13センチ×径13センチの小壺とはいえ、堂々とした姿と絵の壺です。
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香炉としてではなく、ポプリ入れをイメージして作られたのでしょう。
実際にお香として使った跡はありませんでした。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

中蓋がついており、イギリスではポプリ入れとして使うデザインだったと思われます。
裏印は、1911年から1941年までイギリス向け、マルキ印のマロン色です。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

心からのお見舞いを申し上げます。
日々、心を痛めております。
私どもが出来ることを考えて、少しでもお役にたてることがあればと実行していますが、被災地の方々にとっては微力であることと感じています。
心からのお気持ちを伝え、ご支援に替えることをお許しください。

口と反対側の絵模様です。
「皇都 清水の図」とあります。京の都と言いますが、皇都を強調する銘は見たことがありません。
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反対側の絵模様です。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「皇都 清水」の銘がある急須です。
口付近に、「やま傷」が少しありますが、完品で出てきました。よほど大事にされていたのでしょう。
当初、「京焼」と掲載しましたが、調べを進めていくと釉薬などから九谷焼ではないかとも思っています。九谷焼とすれば、絵の場所の表現を「皇都」としたのも頷けます。江戸期には京都の人間は「都」、「京」という表現をしても、天皇がいる都は自明のこととして「皇都」と表現したことは見たことがありません。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

彩色備前が収まっていた箱蓋の裏には、1700年代の公卿で権大納言であった冷泉為村の和歌と為書きが記されています。
まだ、判読はしていません。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

為村卿御銘 雪ノ下杯薹とあります。元々杯台が収まっていたものと思われますが、収まっていたものは煎茶碗又は盃です。
彩色備前が制作された年代と大納言として活躍していた冷泉為村の年代が一致するものですから、何らかの関連があるのでしょう。
出所が出所ですので、余計にそのように思います。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

以前は、1700年代初期に20年ほど制作された彩色備前(絵備前)の煎茶碗又は少し大ぶりの盃と、掲載当初は判断しました。
しかし、今は、岐阜県高須松平藩のお庭焼になった「温故焼」ではないかと思ってもいます。5月13日現在、調べています。
雀の絵が浮き彫りの上に書かれています。
箱から言えば盃の可能性があります。
箱の表には、同年代に大納言であった公卿 冷泉為村の銘があり、箱蓋の裏には冷泉為村の和歌が記されています。
歌の判読はしていません。
京都の公卿の流れのお宅の整理をしたときに出てきました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA